ライシャワーの見た日本⑥

02/10/2019

 昨今の日本では、従来日本人が持っていた倫理観・美的感覚からは想像も出来ないような事態が頻発している。社会規範が或いは常識が、悲しい位に機能していないように思える。

 何が崩れていて、何に希望を求めれば良いのか、誰もが深刻に考えなければ日本社会は崩壊してしまう。

 日本人が劣化したと言われるが、何が劣化したのか、本来あるべき日本人像とは何なのか。駐米大使であったライシャワー博士の著書「ライシャワーの見た日本」から、終戦直後の日本人の行動様式が、米国人にどのように見えていたのか再確認したい。

 著書の目次に沿って、その要約と自分の考察を記すところである。

要約

三部 日本人の性格

第八章 恥・服従・精神力

第一節 恥と自尊心

 日本に於ける社会的同調整の力と、特殊な規範の厳格な固守は、どのように説明出来るのであろうか。宗教が少しも戒律を与えようとせず、良心が罪の意識をもって激情を抑制しないとすれば、社会をそこなうような自己表現を防止する力は何であろうか。宗教的制裁、罪の意識の代用物は恥の意識である。恥が倫理体系を強要し、許容出来る行為から個人的に逸脱することを禁じている。罪を意識する西洋社会では、罪の意識が大きな力になっているのに対し、名誉を意識する日本の社会では、恥が主な力なのである。このような社会の判断は日本人を非常に人前を気にする人間にする。「彼らは私をどう思うだろうか」が最初に考えることであって「私は彼らをどう思うか」ではない。日本人の倫理全体は、個人が自分に関する社会の判断を疑うことなく受け入れ、社会の中で決まった義務を履行することに、基礎を置いている。日本では、個人は、西洋ほどに社会の単位になっていない。理論上、個人は一個の個人としては存在せず、より大きな集団(家族・学校・共同体・国民)の一員としてのみ存在する。日本人は個人的な決定や責任を回避しようとする。集団の決定と責任は、集団の利益を達成する道であるように見えるのである。

自分の考察

 個の確立が、社会構造上困難であるのは、今も昔も変わらない。恥が名誉に依拠した意識から、お金があることが名誉であるという意識に移ってしまった。金持ちも貧乏人も拝金主義の虜になっている。家族も共同体も崩壊し、自分だけは生き残りたいと思う輩ばかりである。社会規範は崩れ去っている。

 改めて思うのは、個の確立である。自分の頭で考えて、自らの良心に従って生き抜く覚悟があれば、怖いものは何もない。日本には空気という仕組みがある、「今だけ、金だけ、自分だけ」から「いつでも夢を」に空気を変えることが出来れば、沈滞した雰囲気は一掃出来るであろう。焼け野原から立ち上がった国民なのだから。


 ご意見等頂ければ、有り難く存じます。

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