ライシャワーの見た日本④

29/09/2019

 昨今の日本では、従来日本人が持っていた倫理観・美的感覚からは想像も出来ないような事態が頻発している。社会規範が或いは常識が、悲しい位に機能していないように思える。

 何が崩れていて、何に希望を求めれば良いのか、誰もが深刻に考えなければ日本社会は崩壊してしまう。

 日本人が劣化したと言われるが、何が劣化したのか、本来あるべき日本人像とは何なのか。駐米大使であったライシャワー博士の著書「ライシャワーの見た日本」から、終戦直後の日本人の行動様式が、米国人にどのように見えていたのか再確認したい。

 著書の目次に沿って、その要約と自分の考察を記すところである。

要約

三章 日本人の性格

第七章 情緒と同調性

第一節 情緒的表現

 自己表現への情緒的衝動という点では、我々より日本人の方が大きく見えるが、同時に日本人は、我々のよく知っている如何なるものより遥かに強い社会的同調性という対抗力を発展させた。日本人は情緒的な表現をうまくおさえ、厳格な行動様式に合致するようにそれを歪めるので、無表情なロボットのような人種だという評判を勝ち得た。東アジアの諸民族は情緒的反応を重くみて論理の体系に我々よりも遥かに関心を示さない。

仏教は日本人が前に知っていたどんなものより満足のいく精神的概念ばかりでなく、感情的に満足すべき美観と、芸術的表現の新分野・新技法を日本人に与えた。


自分の考察

 自分が長くいたタイでも、タイ人が「日本人はロボットのようだと」発言するのを聞いたことがある。その根源は日本人の同調圧力であり、社会の慣習である。そして、日本社会に根ざしたもので無意識の行動となって表れる。事実、自分もタイ人が何を言っているか当時は理解出来なかった。また、ライシャワーも社会契約論的な概念は無いと記述している。

 高度成長の頃は、日本人の均質性がたまたま効力を発揮したのであろう。供給過剰の時代になって自信を失い呆然自失の状況が今の日本なのであろう。自分の頭で必死に考える、解があるかは誰も分からない。分からないものを考え抜くしか方法は無い。試行錯誤を繰り返すうちに答が見つかるかもしれない。

 座して死を待つ(長生きしたい、今だけ、金だけ、自分だけ)よりは、ましである。

社会契約論

 ルソーは人間の本性を、自由意思を持つものとして考え始める。自然状態(ルソーは「相互的孤立」の状態と称した。)では各個人は独立した存在として自己の欲求を充足させるために行動し、生存の障害が発生すればその解決のために各個人同士で協力関係を求める。こうして生じる個々人の約束は社会契約の概念として把握される。社会契約の枠組みに従って国家が正当化されるためには、人間の自由な意思が社会契約の中で保障されていなければならず、社会契約論(1762年)では個人のための国家の在り方を論じている。


 ご意見等頂ければ、有り難く存じます。

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